妻に10年間裏切られても離れないと決めた理由

はじめまして。このサイトを運営している50代の夫です。

私は、妻に長いあいだ裏切られていました。
それを知ってもなお、離婚を選ばず、今も同じ家で暮らしているのです。
浮気や不倫、夫婦の心理、離婚や熟年のことを、この場所では、専門家としてではなく、ただの一当事者として書いています。

きれいごとにできない感情も、そのまま残すことにしました。
かっこ悪い自分も、答えの出ない迷いも、隠さずに記録することが大切だと思ったからです。
そして、同じ場所で立ちすくんでいる誰かの、小さな手がかりになればと思っています。

なぜ、こんな恥ずかしい話を書くのかと疑問に思うかもしれません。
それを分かってもらうには、私が歩んできた道をお話しする必要があるでしょう。
だから、順番に説明するのが、いちばん早い気がします。

この記事でわかること
  • 15歳で家族を失ってから、私の身に起きた事実
  • 妻の約10年の裏切りを知っても、離婚を選ばなかった理由
  • このサイトで、何を書き、何を書かないのか

15歳から50代まで歩いた道

先に、私の歩みを並べておきます。
文字にすると、ずいぶん忙しい人生だなと、自分でも思いますね。
これでも、書ききれないので、大きな出来事に絞っているのですが。

年齢起きたこと
15歳両親を交通事故で、同時に亡くす。残されたのは、4歳下の妹だけ
15歳高校を中退。建設の仕事や訪問販売の営業で働きはじめる
18歳反対を押し切って駆け落ち。所持金は1万5千円。長女が生まれる
22歳長男が生まれる
24歳前妻がある集まりへ。離婚。2人の子どもは前妻が引き取っていった
25歳別の県へ移り住む。二度と子どもを片親にしないと誓う
27歳今の妻と出会う
28歳再婚する
32歳田舎へ移り住む
34歳娘が生まれる
36歳別の田舎へ移り住む
37歳妻がある集まりにのめり込む
40代妻の不倫がはじまる。このとき私は、何ひとつ気づいていない
40代娘が喘息で入院する
40代の終わり妻が怪しい投資に夢中になる
50代妻が、10年勤めた会社を辞めさせられる
50代位置情報から、約10年の裏切りを知る
現在離婚を選ばず、妻は今も隣にいる

ここから先は、どんな時間が流れていたのかという概要の話です。

頼れる大人がいなくなった15歳

私の人生は、家族を失うところからはじまったようなものです。

15歳のとき、両親を交通事故で亡くしました。
あとに残されたのは、4歳離れた妹と、私の2人だけです。
頼れる大人は、もういませんでした。
だから、私は、高校をすぐに中退して、建設会社や訪問販売の職業につき働きはじめたのです。
それは、幼い妹とまだまだ長い人生を生きていくための大きな決断でした。

ここが原点

家族というものを、当たり前に持って育つ時期に、私はそれを失いました。
だからだと思いますが、家族への思いだけは、人一倍強くなったのです。
この失いたくないという気持ちが、後の人生で、私を何度も苦しめるとは夢にも思いませんでした。

1万5千円ではじめた18歳の家庭

18歳のとき、本当に好きになった大切な人と、私は結婚しました。
そして、少し早いですが、2人にとって最高の宝物である子どもを授かったのです。
ですが、彼女の両親には猛反対されてしまいました。
どうしても、子どもが欲しかった私たちは、仕方なく県外へ駆け落ちしたのです。
勢いにまかせた駆け落ちだったので、2人の財布には、1万5千円しか入っていませんでしたね。

私は、寮付きの訪問販売会社に就職し、身重の妻は、妊婦専用の施設に入るしかありませんでした。
仕事では、同僚たちが外食するなか、私は腹が空いていないと嘘をついて、車の中で寝て空腹を我慢していたのです。
そして、寮に帰宅して、1食80円のラーメンを食べていましたね。

この状況から、1日でも早く抜け出すために、無我夢中で働いたのです。
そして、仕事をはじめてから2週間後には、優秀者だけが手にできる賞金50万円をもらいました。
その賞金で、私はすぐにアパートを借りて、お腹の大きくなった妻を迎えに行ったのです。

あの日の気持ちは、今でも忘れません。

私たちの新婚生活がはじまってすぐに、新しい家族を迎えたのです。
18歳で、長女を授かり、22歳には、長男が誕生しました。

貧しさより希望

貧しくて、惨めで、それでも、あの頃はまだ、希望のほうが大きかったんです。
だから、好きな人と、生まれてくる子どものために耐えるのは、少しもつらくありませんでした。
守るものがあるというのは、こんなにも人を強くすると実感したのです。

24歳の離婚と片親にしない誓い

私の幸せな家庭は、想像していたものとは、まったく違う道に進みはじめたのです。
それは、24歳のときに、前妻がある集まりにのめり込んだことで、変わりはじめます。
そして、何度話し合っても、2人の道は交わらなくなり、離婚することになったわけです。

これではダメだと思いとどまり、県外から市役所へ飛び、離婚を止める書類を出そうとしました。
ですが、運命なのか、数分違いで、離婚届が先に受理されていたのです。
そのあと私は、縁もゆかりもない土地へ移り住みました。

誓いの重さ

会いたいときに、会えない。育っていく姿を、そばで見られない。
子どもを片親にしてしまった痛みは、年月がたっても、忘れることはありませんでした。
だから私は、あのとき心に誓ったんです。
二度と、子どもを片親にはしない。この誓いが、のちに私の人生を、大きく決めることになります。

28歳からはじめたやり直しの日々

25歳で移り住んだ先で、少しずつ暮らしが落ち着き、27歳のとき、今の妻と出会いました。
28歳で再婚し、娘を授かったことをきっかけに、私たちは田舎へ移住すると決めたのです。
34歳のときには、娘が生まれ、少し暮らしていた場所から、別の田舎へもう一度移り住みました。
ご近所さんと交わす挨拶や、時折いただく季節の野菜が人の温かさを教えてくれましたね。
田舎は、交通量も少なく、よちよち歩きの娘が、家の周りを自由に動き回れる。
これが私の家族で、新しい生活なんだと、心から思っていました。

一度は家族を失い、自分の手からこぼれ落ちた幸せを感じられたのです。
私にとって、この二度目の家庭は、何としても守りたいものでした。

二度目の家庭

今度こそ、片親にはしない。今度こそ、家族を最後まで守り抜く。
その思いは、たぶん、ふつうの人よりずっと重かったと思います。
愛情だったのか、それとも、失う恐怖だったのか。
今となっては、自分でもよく分かりません。

40代に遠ざかっていった妻の心

穏やかな時間も、確かにありました。
けれど、少しずつ、家庭の空気が変わっていったのです。

私が37歳のころ、妻はある集まりにのめり込み、やがて怪しい投資にも夢中になっていきました。
「会話が減り、外出が増え、笑う回数が減っていく」
今思えば、私が40代になった頃には、妻の心はもう外へ向かいはじめていたのでしょう。
でも当時の私は、長年連れ添った妻だから、『うちは大丈夫』だと信じていました。
その過信が、聞こえるはずの足音を、一つずつ聞き流していたのです。

私にも、いたらないところは、たくさんありました。
それが問題だったのかもしれませんね。
次第に喧嘩をすることが日課になり、ストレスが溜まりはじめます。
それでも、私は、妻に子どもの前では喧嘩したくないと言い続けていました。
毎日、エキサイトする喧嘩にも疲れて、私は部屋に閉じ篭もるようになっていったのです。

見なかった私

見抜けなかったのではありません。見なかったのだと、今なら分かります。
疑うということは、たった一つの浮気を疑うことではなく、築いてきた家庭ごと、この年月ごと、まるごと疑うことになるのです。
喧嘩の日々に疲れ果て、部屋に閉じ篭もることで、見なければならない部分から目を逸らしていました。
信頼していても、疑問があれば疑うべきだったと、今は後悔しています。

50代で知った10年間の嘘

すべてを知ったのは、50代になってからでした。

ある日、買い物を頼もうと、なにげなく妻の位置情報を見たら、あるホテルについていたのです。
そのマークを拡大すると、『看板に休憩・宿泊の文字が見えた』この衝撃は忘れられません。
それでも私は、誤作動だろうと自分を誤魔化そうとしました。
何かの間違いだろうと、電話をかけましたが、妻は出なかったのです。
そして、1時間半後くらいに折り返しがありました。
「どこにいるんだ」と聞くと、答える前に、一瞬の間があったのです。
その電話の後ろは、あまりにも静かな沈黙でした。
それが、すべての答えだったのでしょう。

妻が帰宅後、話し合いがはじまりました。
もう、何もかもぶっ飛んでいたので、妻は悪びれる様子もなく、当たり前の顔で嘘をつきはじめたのです。
『半年前が、1年、3年と伸びていき、証拠に残るぶんだけで6年』
最後には、始まりは約10年前だと、妻自身が認めました。
こんな話し合いをする日が来るとは、予想もしていなかったので、体重は1週間で、5キロも減りましたね。
眠れず、食べられず、それでも子どもの前では、普通の顔をしようとしていたのです。

過去が変わる

信じてきた時間そのものを、疑うしかなくなる。
あの数字が、後ろへ後ろへと伸びていく感覚を、私は一生忘れないと思います。
過去の思い出が、まるごと嘘に変わってしまう。
今まで築いたものがゼロになる恐怖を忘れることはないでしょう。

それでも離れないと決めた本当の理由

家族は、そろって離婚を勧めました。
妹は、これ以上「お兄が苦労するのを見たくない」と言い、娘は「私のことはもういいから」と言ってくれたのです。
ですが、私は継続する道を選びました。

理由は、愛ではありません。
ひとことで言えば、使命です。
私が先に死んだとき、娘を一人にしたくない。
この思いが強かったわけです。
妻はもう子を産めず、娘は妻にとって、世界でただ一人の子どもになります。
私が生きているうちに、母と娘のあいだを取り持っておかないと、2人は絶縁したまま、娘がひとりになりかねない。
それだけは、避けたかったのです。

今の妻への好きという気持ちは、もう自分でも分かりません。
その段階は、とうに過ぎたと思います。
でも、憎しみとも違う。
長く連れ添った相手への、好きを通り越したところにある情のようなものが、確かに残っています。

きれいごとにできない

愛のために残った、と書けたら、どれだけきれいだったろうと思います。
でも、それは嘘になる。私を残らせたのは、私が死んだあと、娘を一人にしたくない、というただ一点でした。
裏切った妻にまで、母と娘でいてほしいと願う。
矛盾しているのは、自分でもよく分かっています。
それでも、これが本音です。

苦労が教えてくれた3つの真実

こうして書き出すと、ただの苦労話に聞こえますが、この歩みの中でしか学べなかった事実が、いくつかあります。

【ひとつは、誠実さ】
人は誰でも失敗する。
でも、それを正直に認めて直そうとするなら、信頼は取り戻せる。
逆に、嘘と裏切りを繰り返す関係に未来はない。
これは、2度の結婚で、身にしみて学んだことです。

【もうひとつは、思いやり】
娘には、見返りを求めない思いやりだけは持っていてほしいと、伝え続けてきました。
家族の愛情を早くに失った私にとって、これはいちばん切実な願いです。

【そして、許す気持ち】
10年も裏切られた相手を許すのは、簡単ではありません。
だから私は、あえて、自分にも気づかなかった責任があると考えるようにしています。
これは、本当に自分が同罪だという意味ではなく、許すために、自分でそう捉え直しているのです。

逃げようとしている人へ

もし今、少しの寂しさや辛さから、家庭の外へ逃げようとしている人がいたら。
責めるつもりはありません。
ただ、その先で待っているものを、私はいちばん近くで見てきました。
一度壊れたものは、簡単には元に戻りません。
動きだす前に、今あなたの手のなかにあるものの大きさを、どうか一度だけ、思い出してみてください。

このサイトについて

私は今も、自分の選んだ道が正しかったのか、分かりません。
答えの出ないまま、複雑な気持ちを抱えて毎日を過ごしているのです。
そして、今でも妻は私の隣にいます。
このサイトは、同じ悩みを持っている方の参考になればと思い書き留めているのです。

あなたへの手紙

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
長い話に付き合わせてしまいましたね。
あなたが今、どんな場所に立っているのかは、私には分かりません。
ただ、これだけは言えます。あなたが自分を責める必要は、どこにもありません。
あなたが、あなた自身を大切にできる道を選べるように、静かに願っています。

この記事について

この記事は、筆者ひとりの実体験にもとづく記録です。登場する人物はすべて匿名化しており、特定の個人を非難する意図はありません。法律のことは法テラスや弁護士へ、心のつらさが強いときは公的な相談窓口やまもろうよこころへ、どうかひとりで抱え込まず、相談してください。